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花き農家がフルーツビジネスに挑戦~前編:茨城県の高糖度マンゴーはこうして生まれた!~
出典 : 保田花香園 平均糖度が高くておいしい「小美玉SUNマンゴー」
  • 農業経営

花き農家がフルーツビジネスに挑戦~前編:茨城県の高糖度マンゴーはこうして生まれた!~

マンゴーの産地といえば沖縄県や宮崎県。寒い気候では栽培できない。そんな常識を打ち破り、南国産をしのぐおいしさと評判のマンゴーが、北関東である茨城県内で作られています。なぜ、それが可能となったのか? その秘密を探ると、これからの農業経営に欠かせないポイントが見えてきました。

やすださん家のスィーツ園(保田花香園)プロフィール

創業者の保田幸雄(やすだゆきお)さんは、茨城県内でまだ花き栽培が本格化する前に、ポットマム(洋菊)の栽培に挑戦。さらに10年前からマンゴーの生産に挑み、本場沖縄・宮崎よりも平均糖度が高いマンゴーを生産する農園として各種メディアで紹介され注目を集めている。

経営を引き継いだ現代表の保田健一(やすだけんいち)さんは、「お客様と共に収穫の歓びを楽しめる農園」をめざし「やすださん家のスィーツ園」としてイチゴ狩りビジネスを展開。現在は、日本初となる乳酸菌入りイチゴの生産に取り組んでいる。

創業者:保田幸雄さん
代表:保田健一さん

茨城県産マンゴーの栽培に成功した保田幸雄さんと、息子の保田健一さん

茨城県産マンゴーの栽培に成功した保田幸雄さんと、息子の保田健一さん

先進的な大規模花き農家としての地位確立

茨城県小美玉市は、霞ケ浦よりさらに北側に位置し、決して温暖な地域とはいえません。そこに、ガラス温室4,620平方m、パイプハウス2,310平方mという広大な敷地を持つ「やすださん家のスィーツ園」があります。

ユニークな園名ですが、母体は保田花香園(やすだかこうえん)という名で、年間13万鉢の花きを出荷する園芸農家です。

「 1坪でいくら稼げるか?」集約的農業を考えた学生時代

保田幸雄〈以下、保田(幸)〉さんは、60歳で息子の健一さんに農園経営を譲って引退し、今年で71歳になります。幸雄さんは農業専門学校を卒業し、先代より農地を受け継いだのち、当時まだ誰も取り組んでいなかったポットマムのビニールハウス栽培を始め、農業経営を拡大してきました。

保田(幸) 私は学生時代から「1町でいくら稼ぐという農業ではなく、1坪でいくら稼ぐか、集約的な農業を行うにはどうすればいいか」を常に考えていました。

「嗜好品時代には花き農業が発展する」ことに確信をもったきっかけ

保田(幸) そんなある日、学内の片隅で栽培されていた南国の花を見て「これだ」とひらめいたんです。「これからは嗜好品の時代となる。その中で花き農業は必ず発展する」と。当時、県内ではほとんど実例がない花き農業でしたが、思い切って挑戦することにしました。

それから約40年、花き農業一筋で栽培技術を研究してきたという保田(幸)さん。

現在は、南国産の花であるオステオスペルマム、マリーゴールド、ひまわりスマイルラッシュのほか、カーネーション、プリンセチア、ケイカ、ラベンダーの7種を栽培するまでに至っています。

保田花香園が栽培する花き品種の詳細はホームページご覧ください。

60歳からの新しい挑戦

再びひらめいた「南国の花を咲かせられるなら、南国の実を実らすこともできるはず」

保田(幸) そして60歳を機に引退することにしました。「農業はやりつくした。あとは息子に頑張ってもらってゆっくり暮らそう」と、農場経営を任せることにしたんです。

ところが、時間にゆとりができると、また何か新しいことを始めたいという気持ちがだんだん芽生えてきました。

そんなある日、再び“ひらめき”が訪れたんです。それは、たまたま沖縄の知人が送ってくれたマンゴーを見たときです。

「南国の花を咲かせられるなら、南国の実を実らすこともできるはず。茨城でもマンゴー栽培ができるかもしれない」

そう考えるともう好奇心が先立ってしまいました。いても立ってもいられず、とにかく実験してみようと思いました。

「8割は花き栽培のノウハウを生かせる」という確信

保田(幸) 県の普及所を訪ねてみると、「残念ながら茨城県ではマンゴーの栽培例がない」といわれました。そこで、沖縄県と宮崎県から栽培に関する資料を取り寄せてもらうことにしました。

データに目を通すうち、「やれる」という確信が高まってきました。「花が咲くか、実がなるかの違いで、8割は花き栽培のノウハウを活かせる」ということが分かってきたんです。

保田(幸)さんのマンゴー栽培には、長年培った花き栽培の知見が活きている

保田(幸)さんのマンゴー栽培には、長年培った花き栽培の知見が活きている

マンゴー栽培成功へ向けた「学び直し」の日々

「茨城県でマンゴーを栽培する」というひらめきと確信。この想いを実現するべく、保田(幸)さんは、さっそく苗を2株購入し、ビニールハウスの片隅を試験場にして、新たな挑戦を始めました。

花き栽培のノウハウで8割はわかるが、残り2割はわからない

しかし、実際に始めてみると、ビニールハウスで温暖な環境を整えても、なかなか満足のいく成果にはつながらなかったといいます。

保田(幸) とにかく前例がないことなので、普及所を含め周囲に質問できるような人もおらず、他県の栽培暦や本を参考にしながら試行錯誤していくしか方法がありません。

「残り2割のノウハウは、現場で学び取るしかない」。そう思い立ち、マンゴー栽培の本場である沖縄や宮崎の農家へ、直接教えを乞いに足を運ぶことにしました。

教えを乞いに日本各地の産地へ

保田(幸) 先達のプロがいる現場で、実際にマンゴー栽培の現場に触れながら話を聞くことで、本や資料などの情報では得られないことにたくさん気づくことができました。

例えばその1つが、受粉作業でした。果樹栽培では多くの場合、毛筆用の筆や綿棒などを使って行いますが、マンゴー栽培ではミツバチを使って受粉させなければ、大きな実をつけることはできないというのです。私はそうした先達者の言葉を一つひとつメモし、一つひとつ実践することにしました。

マンゴーの受粉用のミツバチ

ビニールハウス脇に設けられたミツバチの巣。教わったことは、一つひとつ真面目に実践している。

また、保田(幸)さんは、肥料や土作りなどの栽培法を学びに、ある園芸家のもとへ弟子入りしたこともあったそうです。

保田(幸) 宇都宮の園芸家がマンゴー栽培をしているのを聞きつけ、弟子入りをしました。そこで、マンゴーの苗を1株ずつ鉢に植え、成長するごとに水と肥料の配分を細かく管理しながら鉢を大きくして栽培していく「ボックス栽培」法を学びました。

この栽培法を実践することにより、マンゴーの味を各段に高めることができたと、保田(幸)さんは語ります。

挑戦し続ける経営者であるための秘訣

しかし、事業で成功を収め、60歳で引退した元経営者が、再び新人のように弟子入りして学び直すというのは、並大抵のことではないと思うのですが、なぜ保田(幸)さんは実践できたのでしょうか。

経営者は何歳になっても1年生でいなければならない

保田(幸) それはもう、好奇心と探究心しかありませんね。それと私は、何歳になっても経営者というのは1年生でなければならないと思っています。

1つの事業、1つの目標をなしとげても、それに満足せずに新しい目標に挑戦しなければ、会社は大きくなりませんよね。新しいことに挑戦するときは、1年生の気持ちで謙虚に学び、研究する気持ちがなければ、経営は務まらないと思います。

「研究」という表現が出てきましたが、「生産者」「経営者」であるとともに、保田(幸)さんの姿勢はまさに「研究者」そのものです。

そうした弛まぬ探究心こそが、誰も考えず、誰もなしえなかった新しい農業を開拓する力になったといえるのではないでしょうか。

メモ魔になり、弛まず考え研究し続ける

加えて保田(幸)さんは、事業を成功させたいなら、メモ魔にならなければならないと語ります。

保田(幸) 私が就農して花き農業を始めたのも、当時のこの地域では前例のないことでした。ですので、試行錯誤の過程はすべてノートに記録するようにしました。自分で自分の教科書を作るんです。

そして何度も書き加え、修正を加え、読み返しながら「この時期にはこんな問題があるが、どうすれば解決できるか」を研究し、改善していくための資料としていました。

マンゴーの「ボックス栽培」を説明する保田会長

苗の成長に応じて細かに土壌環境を変えていく「ボックス栽培」法。土や肥料の配合は企業秘密だという

そうした「保田ノート」と呼ばれる記録の積み重ねが、現在のマンゴーのおいしさにも表れています。

現在は100株にまで拡大したマンゴー栽培。「小美玉SUNマンゴー」というブランドで売り出していますが、その名はいずれ全国に広がっていくのかもしれません。

「やすださん家のスィーツ園」の詳細、イチゴ狩りの案内などは、ホームページをご覧ください。

【後編】「次世代が拓く新しいイチゴ狩りビジネス」に続く

松崎博海

松崎博海

2000年より執筆に携わり、2010年からフリーランスのコピーライターとして活動を開始。メーカー・教育・新卒採用・不動産等の分野を中心に、企業や大学の広報ツールの執筆、ブランディングコミュニケーション開発に従事する。宣伝会議協賛企業賞、オレンジページ広告大賞を受賞。

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