化成肥料並みの収量を可能にする、微生物を活用した新農法の最先端に迫る

化学肥料が高騰し、経営を圧迫する可能性がある。こうした将来予測のもと、日本の土壌に含有されている栄養素を有効活用し、減肥農法でありながら化学肥料を使ったときと同等の収量と品質を実現する研究が、理化学研究所 バイオリソース研究センターで進められています。微生物を活用した、この新農法の研究について伺いました。
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目次
理化学研究所 バイオリソース研究センター チームリーダー 市橋泰範(いちはし やすのり)さん プロフィール
東京大学博士課程修了。理学博士。内閣府戦略的イノベーション創造プログラムの研究代表等を歴任。「植物×微生物=21世紀の緑の革命」を目標とし、植物と微生物の共生関係を明らかにする研究を通して、地球に負担のかからない新しい農業を模索している。
理化学研究所 バイオリソースセンター
バイオリソース関連研究プログラム「植物-微生物共生研究開発チーム」
減肥農法への転換が推進される背景
日本の農業近代化や食文化の発展を支えてきたひとつは、化学肥料の普及といえるでしょう。しかし現在、化学肥料に依存した慣行農法から、減肥農法への転換が推進されています。
この流れの背景には、どのような課題があるのでしょうか?
原料となる鉱物資源が枯渇する可能性
現在日本では、化学肥料の主要成分であるリン酸(P)やカリウム(K)のほぼ全量を輸入に依存している状況です。しかし市橋さんは、この化学肥料の原料となる鉱物資源が、将来的には枯渇する可能性があると語ります。
理化学研究所 バイオリソース研究センター チームリーダー 市橋泰範(いちはし やすのり)さん(以下役職・敬称略) 近年のリン鉱石は、中国やモロッコ、南アフリカなどからの産出に頼っています。そしてその採掘量のピークは2030年といわれています。
新たな鉱脈が見つかり、採掘量のピークが延びたとしても、いずれは産出が抑えられ、輸入停止、関税率上昇という事態が予測されるでしょう。
また諸外国からの輸入に依存している限り、国際社会の政情次第で、今後も安定供給されるという保証はありません。

海外からの輸入に頼るリン酸は、今後も安定的に確保できるか懸念がある
出典:理化学研究所 バイオリソース研究センター資料
鉱物資源の枯渇問題から考えられるのは、今後の化学肥料の高騰です。化学肥料に依存した慣行農法を継続している限りは、このコストアップは避けられない問題でしょう。
農業生産活動が環境へ負荷を与える可能性
化学肥料の原料となる鉱物資源の枯渇問題と並行して、効率を重視した農業生産活動が、環境へ負荷を与える可能性も問題視されています。
農林水産省の発表によると、不適切な施肥には、次のようなリスクがあるとされています。
■過剰な施肥による水質汚濁・富栄養化
■肥料成分由来の温室効果ガス(一酸化二窒素)の発生
■品質が不良な肥料の使用による重金属の蓄積のおそれ
■化学肥料への依存による土壌の劣化
参考:農林水産省「平成18年度 食料・農業・農村白書 環境保全型農業の推進」
そのため農業のもつ自然循環機能の維持増進を図り、持続的な生産活動を推進するとともに、環境への負荷の低減をめざすため、農林水産省では「環境保全型農業」への取り組みが推進されています。
減肥農法への転換に伴う課題
しかし、化学肥料を使用した慣行農法から減肥農法へ転換するには、さまざまな課題があります。
農林水産省の調査によると、59.1%の農家が環境に配慮した農産物の生産にあたって「労力がかかる」と回答しています。また49.0%の農家が「収量の減少」や「品質の低下」に対する不安を抱えていることもわかります。

環境に配慮した農業への転換にリスクを感じる農家も多い
出典:農林水産省生産局農産振興課「平成17年度 農林水産情報交流ネットワーク事業 全国アンケート調査 農産物の生産における環境保全に関する意識・意向調査結果」よりminorasu編集部作成
日本の土壌特性を活かし減肥を可能にする「アーバスキュラー菌根菌」
そうした日本の農業に革命を起こす可能性を秘めた研究が、理化学研究所 バイオリソース研究センター内で進められています。その主役が「アーバスキュラー菌根菌(以下AM菌)」です。
日本の土壌にはリン酸が豊富に含まれている
市橋 実は現在の日本の土壌には、本来リン酸肥料が必要ないほど豊富なリン酸が含まれています。ただ問題なのは、それが植物に吸収されない「不可給態リン酸」の形で土中に含まれていることです。
また、日本の土壌の多くは黒ボク土で構成されており、国内のほ場の約47%を覆っています。黒ボク土は植物が吸収する前にリン酸を吸着してしまう性質があります。
せっかくリン酸が豊富に含まれる土壌で作物を育てているのに、それを活用できずに化学肥料でまかなっているというのが日本の農業の現状です。市橋さんは、この問題を解決するカギこそが「AM菌」であるといいます。
リン酸を植物に供給するAM菌
市橋 AM菌は、80%以上の陸上植物と共生関係を結んでいる真菌類です。通常は丸い胞子の状態で土中に存在しているのですが、近くに植物があると発芽し、菌糸を伸ばして植物の体内に寄生します。
このAM菌が根の周りの不可給態リン酸を吸収し、寄生している植物が取り込める形に変えて、栄養分として植物に供給する役割を果たしているのです。
市橋さんは、現在も詳細が解明されていないAM菌の生態を調査するとともに、作物とAM菌の相性についての研究を進めています。
市橋 AM菌は世界に300種以上あり、そこからさらに細かな株を調べると莫大な数字になります。そしてどの植物にどのAM菌が合うかは、今のところあまり解明されていないというのが現状です。
多様な作物の品種と、無数ともいえるAM菌株の相性を解析し探し出すのは、気が遠くなる取り組みです。しかし市橋さんのチームでは、現在急ピッチで解明へ向けた研究が進められています。
AM菌は根圏の外にあるリン酸も吸収
市橋 化学肥料であるリン酸をほ場の広範囲にまいても、実は作物に吸収されるリン酸は、その一部分のみです。なぜなら作物は、根と接している土壌からのみ養分を吸収し、根からわずかでも離れた土壌の養分は取り込めないからです。
これに対しAM菌は、寄生した作物の根から菌糸を長く伸ばして、根から離れた土壌に含まれるリン酸も取り込む生態が明らかとなっています。
つまりAM菌は、根圏領域から離れた土壌からもリン酸をかき集め、植物に供給することができるのです。土壌から無駄なく栄養を取り込むAM菌は、減肥農法の効率を高める重要な要素であることがわかっています。

寄生する植物の根圏を越えて菌糸を伸ばすAM菌
出典:理化学研究所 バイオリソース研究センター
AM菌を用いた栽培実験では収量が1.5~3倍に
実際にAM菌を活用することにより、作物への効果はどれほど見込めるのでしょうか。
市橋 AM菌を用いたネギの栽培実験の結果では、リン酸を施肥した場合と比較して、AM菌を用いた場合は、収量が最大3倍になったというデータが出ています。

AM菌を用いた先行研究では、最大3倍増の収量を実現
出典:理化学研究所 バイオリソース研究センター
この結果から、AM菌を活用することで、リン酸鉱物の輸入に頼らなくても化学肥料並みの収量や品質を実現できる可能性があることがわかりました。AM菌の研究と農業への活用技術の確立は、環境に配慮した減肥農法に、新たな技術革新をもたらす1つの光明といえるかもしれません。
AM菌は農業経営者にとって大きなビジネスチャンスに
AM菌の研究・解明は、減肥農法における革命に留まらず、農業経営者にとってさまざまなメリットをもたらすと市橋さんは考えます。
減肥農法に「おいしさ」という新たな付加価値を
市橋 AM菌を用いた新農法のメリットの1つは、化学肥料による慣行農法に負けない品質とおいしさを実現できる可能性が高いという点です。
減肥農法による作物は「環境にやさしい」「安全」「健康的」というイメージを消費者に与えます。その一方で「見栄えが悪い」「味が劣る」といった印象を持つ方もいるでしょう。
しかしAM菌による農業技術が進化し、減肥農法でも化学肥料を用いたような十分な栄養供給が実現すれば、完成度の高い品質の作物が栽培可能です。
環境へのやさしさや安全性に加えて、おいしさや品質も訴求できる作物は、農業経営者にとって新たな戦略の1つになるかもしれません。
化学肥料高騰に対するリスクヘッジ
先に述べたように、そう遠くない未来にはリン鉱脈が枯渇することは大いに予測できます。そうなれば化学肥料の価格高騰や品薄が、農業経営を圧迫する可能性は高いでしょう。
市橋 こうした事態を想定してリスク回避の準備を早期に行うことは、農業経営者にとって重要な課題です。AM菌を活用した減肥農法の検討は、コストの増加や収量の減少に対するリスクヘッジになるのです。
農業経営においても、環境への配慮が重視される時代に
市橋 私は仕事柄、農林水産省の方々と話をする機会が多くあります。その際に話題となるのは、農業経営者も一般の企業経営者と同様に、環境問題に対してコミットしなければならない時代が到来しつつあるということです。
今や多くの企業が、積極的にCSR活動に取り組んでいます。また、SDGsにおいて示される問題解決への具体的な施策と行動が、自社の価値を左右することを認識して動いています。
そして今後は、農業においても環境問題への取り組みが評価される時代となります。その評価は農家の経営を持続・発展させる上で、無視できない重要なファクターとなるでしょう。
市橋 そうした時代において、AM菌を活用した減肥農法を取り入れることは、環境に責任をもって取り組む行動の1つとして評価され、農業経営の追い風となるだろうと考えています。
研究者と農家が一丸となって推進するプロジェクトに
作物とAM菌の相性は、さらなる解明が必要であると考えられています。この動きに対して、農家はどのように関わっていけばよいのでしょうか。
市橋 研究をより迅速に進めるためには、各地の土壌に存在するAM菌を集め、相性がよい作物とのマッチングを行うことが重要です。
現在は、北海道、福島、新潟、三重、九州などの各エリアにモデルほ場を作って実験を進めていますが、今後は全国の農家からもAM菌のサンプルを採取したいと考えています。
これまでは農林水産省や農協などを経由して、農家の方にご協力いただいていました。しかし今後は、私たちが農家へダイレクトにアクセスすることも視野に入れています。
研究者と農家が一丸となってプロジェクトを進めていかなければ、現場に即した農業技術を革新していくことはできないと考えているからです。
これからも積極的に、農家の皆さまにプロジェクトへの参加を呼びかけてまいります。世界に類を見ない新技術確立のため、ぜひご協力いただければと思います。
化学肥料の枯渇は、遠くない未来に起こり得る大きな問題です。その問題を解決しうる存在であるAM菌は、日本の農業を支える存在になっていくかもしれません。
※AM菌についてはこちらの記事もご覧ください。
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松崎博海
2000年より執筆に携わり、2010年からフリーランスのコピーライターとして活動を開始。メーカー・教育・新卒採用・不動産等の分野を中心に、企業や大学の広報ツールの執筆、ブランディングコミュニケーション開発に従事する。宣伝会議協賛企業賞、オレンジページ広告大賞を受賞。